音楽の話

LAST UPDATE: 2016.04.16

 

 私の以前暮らした街ウィーンは、言わずと知れた音楽の都である。
実は建築の都でもあり、本当はそちらの方の事を書かなければならないところではあるが、それはまたの機会に。今回は私が当地で実際に見聞きした、世界でも一流といわれる音楽家と彼らを育て続ける街について、実際に体験した事を書きたいと思う。

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私はもともと音楽が好きでいろんなジャンルの音楽を聴く。しかし以前は今ほど音楽、
とりわけクラッシック音楽が身近であった訳ではない。それが縁あって声楽家の妻と結婚し、ウィーンで暮らしてからは、公私共々クラッシック音楽に深く関わるようになった。

我々の場合は建築と音楽であるが、隣で違うジャンルに従事しているのを見ていると、その当事者よりも客観的に物事が見えてしまうという事がある。そういう意味では私もウィーンで得難い体験をしたのかもしれない。何せ世界中から、一流の音楽家を目指して集まってきた若者がこの地で学び、時には競ったその一部始終を見てきたのだから。
以下にそのいくつかを少し取り留めない書き方ではあるがご紹介したい。


ウィーンの街にスーツケース一つで到着した音楽家の卵達は、まず少ない伝手を頼って探した安アパートに落ち着く。そして徐々に生活を整えるのであるが、大方の予想通り、言葉の壁に苦労する。そこで語学学校に通ってある程度ドイツ語を話せるようになってから、大学の入学試験等を受ける。ウィーンの街に長期間住むためにはビザが必要であるから、大学生という身分が一番手っ取り早い。しかしみんなが狭き門であるウィーンの一流音楽大学に入れる訳ではなく、地方の学校や専門学校に入ったり、あるいは語学学校などに通いながらチャンスを伺ったりする者もいた。


それとは別に高名な音楽家(教授)にプライベートレッスンを受けていれば教授の一筆
書きによってビザの申請が可能になるというシステムがあったので師匠の下でレッスンを受けつつチャンスを探す者も多かった。
そんな事もあり、ウィーンに滞在する音楽学生は、まず自分が付く師匠を探すのである。その教授が教鞭をとる大学に入ることが出来れば一番理想の形である。中には日本での師匠の関係や大学からの推薦や紹介などを受けて乗り込んでくる人達もいたが、少数であった。

さて、そんな彼らのウィーンでの暮らしぶりについてであるが、お金はないので生活は
割と質素である。しかしそこは音楽の都、この街は音楽家にとって住んでいる事自体が贅沢ともいえる環境が用意されている。


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まずは劇場。何といってもウィーン国立歌劇場である。この劇場の凄いところは、シー
ズン中ほぼ毎日オペラが上演されているという事である。当たり前だと思われるかもしれないが、興味のある方は、例えばミラノスカラ座やパリオペラ座など他の劇場の上演スケジュール表を見ていただきたい。休演やコンサート等、他の用途の日を挟んだりして、実質オペラを上演している日数はウィーンよりも遥かに少ない。毎日、鉄道の過密ダイヤのように違う演目の舞台セットが入れ替えられ、上演され続けていく。それもある一定のクオリティーを保って。

なぜこのような事が可能かと考えてみるのだが、古くからオペラというものはウィーン
の街の重要な一部分であり、市民の生活に根差したものであった。そして音楽家にも観光客にも無くてはならないものであった。それは伝統芸能というものとも違い、今なお新しい演奏家や歌手によって、日々新しい情報を発信し続けている。またそれによって経済的にもうまく回っているのだろう。

それから出演する多くの一流の歌手や演奏家が、ウィーンに居住しているか、ヨーロッ
パ圏内に居住しているため移動の費用が少ない。ヨーロッパの芸術家にとって交友関係、ヨコの繋がりは非常に重要である。国境が陸続きであるため、地の利を活かし、例え大物芸術家であっても何かあればいつでも軽々と移動してくるので、見ているこちらもどこか身近に感じてしまう。
日本でオペラといえばウィーン国立歌劇場の来日公演など歌手、オーケストラ、舞台セ
ット等まるごと輸入してしまうので、上演コストは非常に高いものになってしまう。その
結果オペラの敷居が高いのは当然である。

また出演者の多くが国立劇場の専属であるから公務員であり、国が彼ら芸術家の身分をある程度保証している。日本では文化予算をいきなり全て削ってしまった自治体があるが、歴史を見据えた慎重な議論が必要であると思う。

ウィーン国立歌劇場には立ち見席が設けられていて、天井桟敷席の一番後ろではあるが、当時一人300円でオペラが観れた。良い音楽を生み出すには、良い音楽をたくさん聴かなければならない。私も妻とよくここに通い日本で購入したオペラの解説書を片手に演目をチェックし、片っぱしから見まくった。筋書きがわかればオペラはそんなに難しいものでもなく、シンプルに面白い。それもそのはずで、テレビも映画も無い時代にはオペラがそれに代わる娯楽であったのだから。

ウィーンには国立歌劇場以外にもフォルクスオーパー、アン・デア・ウィーン劇場など
いくつかの劇場があり、オペレッタや演劇、ミュージカルなどをもう少し気楽に観る事が
出来る。その他に、音大の学生が発表のために催すオペラなどもあるが、一般には知る人は少ない。

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次にコンサートホール。有名な楽友協会ホールでは元日にニューイヤーコンサートが毎年全世界にテレビ中継され、日本でもおなじみである。このホールは金で飾られた
内装の素晴らしさもさることながら、やはり音響がすばらしい。
ホールの形状は単純な長方形の箱であるのに、現代において音響工学で計算され尽した最新鋭のホールよりも響きの美しいホールである。300年以上前に造られたバイオリンの名器が今でも一番美しい音色を出す事に似ているかもしれない。

ところが、実際にここでウィーンフィルのコンサートを聴くのは貧乏学生にとっては難
しい。チケットは年間を通した綴りになっていて、協会の会員にのみ販売されるからである。
観光客向けに販売されているものは、これらのチケットが中間業者によって転売された非常に高額なチケットとなっている。
しかしこのホールでも演目によっては立見席がある。開場前の裏口に並んでいる列の中には、必ず知り合いの音楽学生がいるものである。情報交換したり、協力し合ったりして少しでもいい場所を確保するのである。

ウィーンでコンサートが行われているのは、大きなコンサートホールだけではない。教
会や市庁舎、宮殿、屋外広場、レストラン、酒場、ストリートも含めると、本当にいつも
街のどこかでコンサートが行われている。100年以上前に建てられた石造りの建物などは天井がく音もよく響き、普通に生活しているような部屋でもすぐにコンサートが出来そうである。

私も妻が師事していた音楽家のハウスコンサートに行った事がある。世界でも一流といわれる音楽家の演奏を、ホールの客席で聴く機会はよくあるが、人となりや息遣いまでわかりそうな至近距離で聴くことは、普通あまりないだろう。傍らで見ていると、彼らには、特にウィーンの音楽家にはある共通した音、というか間合いというか、あるいは空気感のようなものがある。肉体を究極まで鍛錬した先に見える芸術の領域とでもいうのだろうか。。。

この先人の偉大な音楽家たちも過ごしたであろう、同じ中世さながらの美しく自然豊か
な街に生活し、同じ四季を感じた中で結実する音楽を、我々は今でも確かにウィーンの音楽家を通じて感じる事が出来る。
建築が「凍れる音楽」であるならば、音楽は逆にそれが「融けだした建築」とでも言え
るかもしれない。

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声楽家である妻からよく「建築は、失敗しても図面を描きなおす事が出来るから羨ましい」と言われる事がある。確かに音楽の本番は1回だけ。失敗してもやり直す事は出来ない。
その最たるものが入学試験やコンクールであるが、場合によってはわずか数分の本番のために彼らは日々鍛錬し準備をする。特に声楽家などは体が楽器であるから自分の体調管理はもちろん、その本番の瞬間が一番いい状態になるように生身の体を調整しなければならないのである。

このような競争をくぐり抜けた音楽学生達は、この地で経験を積み、やがて巣立ってい
く訳であるが、進路は様々である。ここで得た肩書を持って日本の教育機関で教鞭を執る者や、数少ないが演奏家として活躍する者、あるいはウィーンで音楽の仕事がしたくてこの地で音楽関係に教師や音楽家として就職する者、とにかくここに住み続けていたいと、別の仕事に就く者、縁あってオーストリア人や日本の駐在員と結婚する者等だ。
当たり前だが彼らに共通するのは、とにかくこの街が好きだという事である。一度離れ
たとしてもまたいつかは訪れたくなる。ここはそんな不思議な魅力のある街なのである。

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今でも相変わらず音楽を志してこのウィーンへやってくる人達は数多くいるだろう。
しかし最近ではウィーンに留学する日本人の数はずいぶん減っていると聞く。それに代わって今圧倒的に多いのは中国の学生であるそうだ。同じ現象は他の様々な分野で言えるかもしれない。文化と経済力との関係である。
ある意味、経済の強い時代に投資した果実とも言えるのであろうか、今では日本人の音楽家も国際コンクールの上位に名を連ねる事が常であるし、世界的にマエストロとして活躍している人も多くいる。

ウィーン滞在中に、指揮者の小澤征爾さんに一度センメリングという近郊のスキー場で
偶然お会いした事がある。今から思うとウィーン国立歌劇場の音楽監督就任の少し前であったので、あるいはその頃から就任話があったのかもしれない。とても気やすい方で、当時学生をしていた私たちの話もよく聞いてくださった。小澤さんも若い頃はウィーン国立歌劇場の立見席の常連であったと聞いた。

同じく指揮者の佐渡裕さんもウィーンで大きなチャンスを掴んだ一人である。今年から
ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団の首席指揮者として前述の楽友協会ホールに凱旋した。

クラッシック音楽は西欧で生まれ発展してきたものであるが、むろんヨーロッパだけの
ものではなく、日本を始め各国のクラッシック音楽がある。最初は単なる模倣であったかもしれないが、その後はそれぞれに発展してきた。
それでもウィーンという街は変わらず世界の中で音楽の都であったし、これからもそれ
は変わらないだろう。伝統と規範の中から常に新しい音楽を産み出し続けているからである。


例えインターネットでウィーン国立歌劇場のオペラのライブ中継を日本で観たとしても
この街とオペラが一体となった空気感は伝わるものではない。劇場に至るまでのウィーンの街並み、贅の限りを尽くしたエントランスホール、幕前の緊張感と高揚感、いつまでも鳴りやまないカーテンコール、観劇後のカフェで傾けるオーストリアワインの味わい、これら全てオペラの一部である。

機会があれば是非実際にこの街に滞在して体感して頂きたいと思う。私も帰国してから5年後に一度里帰りしたが、それから早いもので10年余が経過してしまった。次は自分の娘を連れて訪れたいと思っている。

 

※ この文章は、JIA近畿支部住宅部会 TALKABOUT に2016年4月寄稿したものです。